故土井大助さんの「東大ポポロ事件と秘密保護法」映像


故土井大助さんの「東大ポポロ事件と秘密保護法」映像

故土井大助さんの「東大ポポロ事件と秘密保護法」という講演の映像です。
2014・4・5 に民主文学の事務所で行われた文団連の加盟団体会議での最後の講演です。
桜が窓の外に綺麗に咲き誇る夜の事でした。

2014年11月24日(月振替休日)13時から日本教育会館9階喜山会館で偲ぶ会が行われます。(事前申し込み要)

この日の動画と文団連の機関紙「まい」に掲載された明石さんの追悼文をアップします。

土井大助さんの東大ポポロ事件と秘密保護法1
http://youtu.be/B8MoE4bn2NE
故土井大助さんの「東大ポポロ事件と秘密保護法2」
http://youtu.be/RIEUN_hwTLQ
故土井大助さんの「東大ポポロ事件と秘密保護法3」
http://youtu.be/OVhLRzP50YQ
故土井大助さんの「東大ポポロ事件と秘密保護法4」
http://youtu.be/XubVMj7oZjs
故土井大助さんの「東大ポポロ事件と秘密保護法5」
http://youtu.be/UXH5ssXZPhk


以下明石さんの土井大助さん追悼文です。


 詩人の土井大助さんが七月三十日、肺がんのため狛江の自宅で亡くなった。文団連代表幹事でもあり、大きな財産を失い残念だ。土井さんの代表幹事就任は二〇〇三年六月、第39回文団連総会からです。私が文団連事務局長になって二年目で、代表幹事の補充を提起し、土井さんにお願いして快諾を得たものだった。土井さんは、毎年メーデーに参加していたが、今年その雄姿が見られなかった。そのひと月ほど前四月五日の加盟団体会議に参加され、「ポポロ事件と秘密保護法」と題してお話しされたのが、文団連の公式な場での最後だった。
 二〇〇五年の文団連第41回総会では、土井さんに「文団連に期待するもの」と題して記念講演を行った。講演の中で土井さんは、蜷川虎三京都府知事が、革新自治体の先達として掲げたスローガンに「反共は戦争前夜の声」と同時に「憲法を暮らしの中に生かす」だったことを紹介し、「この“反共は戦争前夜の声”というのも文団連の共通の考えで、それぞれの団体の綱領に方針として掲げているかどうかは別として、そういうことが含まれていると思う」と話されたのが印象深い。
 土井さんが文団連と関りだしたのは、一九六八年からだ。日本民主主義文学同盟(当時)の常勤者となり、幹事として文団連に参加している。文団連が一九六三年四月に都政刷新をめざす広範な文化団体(約60団体)として発足し、以来原子力潜水艦寄港阻止、日韓会談阻止をたたかう文化人・文化団体会議へと引き継がれ、随時任意の運動を展開してきたが、一九六七年八月、第3回総会で文化団体相互の連帯と交流を前進させるため会則を定め恒常的な組織「文化団体連絡会議」を確立し、初代事務局長に声楽家・作曲家の関忠亮さんが就任したばかりだった。
 個人的に土井さんを知ったのは詩集「十年たったら」でだが、お会いしたのは一九六七年ころ、新宿区信濃町の東京労音事務所で、東京労音創立10周年記念ミュージカル「青春の歯車」の制作現場に作詞家として参加されていたときだった。このミュージカルは原作・早乙女勝元、作曲・すぎやまこういち、演出・山本薩夫・加藤盟というスタッフで、キャストは九重佑三子・大木正司・玉川伊佐男・矢野宣・林隆三・小松方正らだった。
 一九九五年十月には文団連第19回全国交流集会が札幌で開催され、土井さんが「マルチ人間・小林多喜二」と題して記念講演を行った。講演は多喜二が優れた作家ながら、文学だけに狭く閉じこもることなく、音楽、美術、演劇、映画など芸術の諸分野を広く視野に納めた生き方に深く共感すると話され、集会の大きな問題提起となった。
 もう十年も前に機関誌「まい」に寄せられた文団連への期待の言葉を引用し、土井さんの冥福を心から祈りたい。「自衛隊海外派兵から平和憲法改悪へ、刻々とその決戦は迫ってきている。打開と勝利のカギは、広範な国民の世論と行動以外にない。“草の根”の力が文字通り草の根の力として発揮されるかどうか、文化団体の仕事も、そこでどう創造的な活路を切り開くか、力を合わせて奮闘しよう」
 土井大助さん、ありがとう! 安らかにお眠り下さい。
以上です。