川島夏さん(劇団風の子)インタビュー

劇団風の子の川島夏さんインタビュー

第一回ぶん文訪問記

 

いろんなところで活躍している文化の仲間に出会いたい―そんな思いで、文化団体連絡会議では、訪問記の連載をすることにしました。

第一回は、新劇人会議から、劇団風の子の川島夏さん(26歳)です。インタビュアーは東京芸術座の森路敏さん。撮影係は青年劇場の福山です。

緑豊かな東京高尾にある、風の子の本拠地を訪問しました。三階建ての建物にはいくつもの稽古場が。裏手の建物には、もう一つの稽古場と大道具などの製作場も。1950年創立の劇団風の子は児童劇団の老舗。東京だけでなく、九州、関西、中部、東北、北海道と全国各地に拠点を置き、保育園、幼稚園、小学校、おやこ劇場などさまざまな場所で公演やワークショップを行っています。

川島さんは、「スクラム☆ガッシン~準備完了第2号計画‘(ダッシュ)」(以下「スクラム☆ガッシン」と省略)というオリジナル作品の出演者として、全国で公演中。まずその作品のビデオをみせていただき、そのあと、ソーシャルディスタンスとマスク着用でインタビュー。川島さんは、やさしい口調で時に考えながら、話してくれました。

 

生まれた時からお芝居が身近に

― お芝居に興味を持ち始めたのは?

川島 父が劇団風の子九州の劇団員で、母も福岡の子ども劇場で働いていたものですから、ほんとに生まれた時からずっと身近にお芝居があって、風の子だけでなく、いろんなお芝居を小さい時から見てきました。「自分もやってみたい」と明確になったのは、小学校1年生の時。作文で「自分も舞台にたってみたい」と書いていた。自分ではあまり覚えていないんですが(笑)。高校2年の時、「風の子の研究所が次の一年で終わるかもしれない」と聞いて、出来れば入りたいと思っていたので、高校を中退して東京に来ました。一人暮らしを始めて、研究所に通いながら、高校卒業の資格を取るために通信制の高校で勉強しました。

― 風の子の研究所では一年間「遊び倒す」と聞きました。

川島 まあそうですね(笑)。いろんな表現をすることから始まって、遊びの中から体を使って身体表現したり、歌ったり、それを一週間、月曜から金曜まで、夜6時から9時までずっと一年数か月やってきました。お芝居をやりたい人だけではなく、いろんな人が集まる所で、年齢も経歴もバラバラ。そんな中で一年やってきたことは自分の人生の中ではとても大きかったと思います。

― 大変だった?

川島 発表会が近づいてくると、みんな遊びの中でも真剣になって、衝突したりもしましたし、混沌とした一年を過ごした(笑)という感じで、とても濃い「遊ぶ」を体験しました。それから風の子に入団したら、児童演劇だし、子どもに寄り添った作品が多いので、演技力や歌唱力も大事だけれど、その中に遊び心だったり、表現の仕方とか、いろんな所に遊びが含まれている。研究所で体験したことが今生きていると思います。

 

お客と地続きの舞台

― 東京芸術座もおやこ劇場でお芝居を上演するけれど、劇場の舞台でやることが多い。今日見せてもらった「スクラム☆ガッシン」はそういうのとちょっと違って、お客の中に入っちゃうというか。体育館の真ん中に舞台を作って、お客と地続きなんですね。

川島 先輩たちから聞くと、前は劇場で舞台側と客席側で分かれていたことが多かったそうです。でも、小学校を中心とした公演形態に変わって来て、さらに幼稚園保育園での公演が増えて、子ども目線というか、お客と舞台と一体になれるような工夫がされてきたのかなと思っています。子どもに問いかけたり、子どもからの表現をもらうこともある。こちらが表現してその反応と一緒に作っていくことが風の子はとても多いので、そういう所が特徴かなと思います。

― 子どもを信頼するということが根っこにあるのかな。

川島 なかなか難しいですけど。コロナのこととか、時代は変わってきてはいますけど、子どもの中にある遊び心や、芯のようなものは変わらないと、今風の子にいる人たちは思ってお芝居をやっている。信じるという表現でいいのかわからないけど、演じている時は子どもの反応を素直に受け止めて、それを生かしたり、反省したりをしています。

 

コロナの中で

― コロナによってだいぶ様子は変わりましたか。

川島 コロナ下で、子どもたちからの表現が押さえられている。「あんまり大声出しちゃいけませんよ」とか、「隣同士で騒いじゃいけませんよ」というのは、当然のことではあるけれど、風の子が作ってきたお芝居はそういう反応も頼りに、一緒に力にしてきたと思うので、それが無くなってしまうと…。もちろん反応が無いから見てないとは思わないですけど、どこか物足りないと思ってしまったり、ほんとに伝わってるだろうかって、一緒にお芝居を作るメンバーの中で、いつも問い続けているかな。

― こちら側の制約もいろいろ?

川島 除菌、換気も気を使って、客席も人数を減らして間隔を空けて。今までは体育館に全学年がギュッと集まって、とても集中した中で、舞台と客席が一体になってやってきたんですけれど、お客さん同士の間も空いてるし、後ろのお客までが遠いですし、舞台と客席も2メートルは空けないといけない。

「スクラム☆ガッシン」ではマウスシールドをしてやっているので、最初の頃はとても、劇中で走るので苦しい(笑)し、セリフを届けるにはどうするかと苦しみました。今も継続中ですけれど。

― 大変なことになった今、川島さんが芝居をやっている理由は?

川島 とてもキツイ仕事が、コロナでさらにキツくなって、それでもやっているのは、こういう活動が大事だな、無くしちゃいけないなと。どの文化もだけど、そう思います。それが出来なくなったら終わりかなと。感染のリスクはありますけど、それでもなんとか子どもと一緒に見ようという先生方、保護者の方が沢山いるので、「こういう中でも芝居をやってる人たちがいる」ということを見てもらえたら、少し元気を出してもらえるかもしれない。やることで自分自身も元気になりたいと思う人が私も含めてこの劇団にいます。とても難しいところではあるんですけど。

― 反応が素直に出て来ない感じ?

川島 そうですね、前ほどは。感想文なんかではとてもよく見てくれてるということは伝わるんですけど、ライブでやってる時はとても反応が減った。それでも地域や学校によってはとてもいい反応をしてくれたり、リアクションが返ってきたり、いろんな表現をしてくれたりということがあるんです。コロナ前でも学校によっては「静かにちゃんと見ましょう」みたいな所が(笑)あったり、「いっぱい楽しんで見て下さい」という所もあったり。学校の方針もいろいろだから一概には言えないですね。

 

いままでの当たり前が当たり前でなくなる

― 今は東京近郊を回っている?

川島 そうです。埼玉、千葉、この間まで新潟で2、3週間やらせていただいて、今度は名古屋、岐阜の方に行きます。地方に行くと意外と「東京からこんな時に大変ですね」と心配の声をかけて下さるんです。都市部は本当にその真っただ中にいるので余裕がない。その中でも実施して下さる学校はとても歓迎して下さって、先生方も協力的なので公演としてはやりやすいです。ただ、すごく心配はされますし、私たち自身も心配ですし、すごい不安の中でみんなやっています。前までは一日で学校全員に見せて終わりというのが普通だったんですけど、今は二日、三日に分けてクラスごととか、学年とか、低学年・高学年と日を分けて実施したりするので、それもまた大変で、厳しい世の中になったなと思います。

― 2ステージになっても収入は1ステージ分だったり。

川島 そうですね。どうしてもそうなっちゃう。それでも実施して下さるのは本当にありがたいなと思って。一公演一公演大事にしないといけないといけない、その中で何を子どもたちに届けるかっていうのは、毎日が勝負だと思ってやってます。

― より切実に感じるようになった?

川島 そうですね。前まで当たり前であったことが今は当たり前でないので。

 

先輩と後輩の間で

― この先いつコロナが収束するかわからないけど、いつかは良くなるとして、将来の夢は?

川島 何も今は見えないというのが正直な所です。理想を語ればこのまま良くなって、コロナの前通りにお芝居が出来て、と思いますけど、今また感染者が増えてきて、この先どうなるか不安です。後輩の役者たちはそこが一番不安だろうなと。きっとどこもそうなんでしょうけど、楽な仕事ではないし、お金や生活を考えるとより厳しくなっているし、これからどうしようと思っている人もいる。逆に前向きに、「きっと大丈夫だよ。なんとか耐え忍んで頑張ろうよ」という人もいてそれぞれです。私はわからないというのが正直なところです。誰も体験したことの無いような出来事なので。

でも、それぞれ形は違いますけど、こういう活動を残したい、続けていきたいという思いはみんな持っているなと思います。若い人では、風の子でなくても表現の活動を続けたいという人もいますし、違う形で風の子に貢献できればという人もいますし、様々です。先輩たちは風の子のことも、子どものこともすごい考えてる。不安はそれぞれですけど、この活動を残していきたいという思いは長くいる人たちの方が強いな、すごいなと思って。そこは年代とか、経験の違いかな。

― 川島さんは入団8年ですよね。後輩を見ていて「おっ」と思うことは?

川島 公演している時は特に何も思わないです。公演班自体がとても若いし、みんなお芝居に前向きだし。首都圏の劇団員全体で集まって風の子の今後について話し合ったりすると、考え方や今に対する向き合い方が全然違う。今の風の子を今後どうするか、今の現状をどう思うか、これから形態は変わっていくだろうけれど、それについてどう思うかというのは。この前世代ごとに、20代、30代、50代と分かれて「どう思う?」みたいな話をして、あとでそれを出し合ったんですけど、「あ、やばい、全然違う」(笑)となって。でもそれはやってよかったというか、面白いなと思って。

― 年代ごとに集まった方が意見が出やすい?

川島 全体で集まると、どうしても若い人は思ってても言えないことが多いので。

 リモートにはなれましたか?

川島 長野のおやこ劇場でやらせていただいた時に、本番をライブ配信して、後で見たんですけど、やっぱりなんか変な感じ(笑)。その時はお客さんがいる中で撮ったので良かったんですが、無観客だとどうなのかなあと思ったり。いろんな意見はありますけど、時代は変わっていくし、慣れていくしかないだろうし、こういう活動を残していく手段の一つとしてはいいのかなと。映画とはまた違うので、生が一番だと思うんですけど。

九州で劇団をやっている父に時々電話で話を聞くと、「公演出来てはいるよ」とか、「この前リモート配信やったよ」と言います。それぞれコロナ下の工夫をいろいろしている。なってしまったものはしょうがない、その中でどう残していくか、どう伝えて行くかを考える方に今皆は来ている。あれもダメこれもダメっていうのはありますけど、出来る中で最善を尽くしてやっていくしかないし、がんばらなきゃなと思います。

 

マイクロバス一台で

 「スクラム☆ガッシン」は何人編成ですか?

川島 6人です。

 その他に照明とか音響とか?

川島 いないです。舞台の仕込みからバラシまですべて役者6人だけでやります。班の会計や、先生との打ち合わせも。マイクロバス一台に人間も道具も全部乗せて移動します。

 仕込みにどのくらい時間がかかりますか?

川島 仕込みだけなら1時間半。そこから照明合わせをしたり客席準備をしたり、全部合わせて3時間くらいです。「スクラム☆ガッシン」はなるべく明るい中でやるようにしています。体育館のカーテンだけ。後は自分たちの持っていく幕で一部を隠したり。

 稽古期間はどれぐらい?

川島 初年度はいろいろ合わせて二ヶ月くらいです。お芝居によっては上演しながら作っていったりします。「スクラム☆ガッシン」もシーンによっては役者が作りました。演出の中島研はわりと役者に任せる部分が多く、「自分たちで作ったものが強い」と考えているので、私たちが考えた演技やシーンをまとめるという事が多いです。旅の中で日々「今日、ここはこうだったね」「ここはもっとこうした方がいいんじゃない」とメンバーの中で話し合っていきます。メンバーによってもかなり変わりますし。一学期間の中で、シーンは変わらなくても、より良くしていこうとどんどん変わっていきますね。演出家は旅中は、時々観に来てダメをくれたり、アドバイスをくれます。それもコロナ下でかなり減りました。

 今年、公演数はかなり減りましたか?

川島 かなり減りました。一学期は公演全て飛びました。昨年は週5日入っていたものが、全部なくなって、5月は自宅待機。前日に電話が来て公演が無くなったり。二学期には公演が入ったので、稽古中も気を使って、換気をしてマスクを着け、数日おきに休みをとって様子を見たり。電車・バスなど公共交通機関を使う人は、なるべく混まない時間帯にしたり。ほんとに私自身「大丈夫かな」と思いながら一学期を過ごしました。PCR検査も月一回くらいしています。今のところ誰も陽性反応が出た人はいません。

 それはすごい。

川島 これだけ地方で公演したりしているので、それは本当にありがたいというか、奇跡だなと思います。

 

 みなさんの努力の賜物ですね。今日は本当にありがとうございました。